ドゥオーモの見学スポット「大聖堂内部」、「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」、「サンタ・レパラータ教会跡」について見どころ、入場の流れなどを詳しくご紹介します。
目次
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)
大聖堂の入場の流れ
コロナ以前は、入場に数時間かかるほど混雑していました。
私が以前訪問したときは、開場15分前に並びましたが、ファサードの左端くらいまで行列ができていました。
お昼前などはもっと混雑し、建物沿いに列がクーポラ入場口(北門)あたりまで伸びていました。
大聖堂の歴史
ドゥオーモの名前で知られていますが、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)が正式名称です。日本語にすると「花の聖母マリア大聖堂」です。
白を中心に、緑、ピンクを加えた3色の大理石の美しい壁と巨大なクーポラが特徴的なイタリアン・ゴシック建築の傑作です。
彫刻家でもあったアルノルフォ・ディ・カンビオの設計で1296年に建設が始まりました。アルノルフォ死後は、鐘楼に名を残すジョットが主導しましたが、彼も塔の完成半ばで死去しました。その後も多くの建築家の手に委ねらましたが、1418年にはクーポラを除き完成しました。
クーポラの建設は、ギベルティ、ブルネレスキ、ドナテッロなどが応募した公募でブルネレスキが選ばれました。巨大なクーポラを木枠なしで建設した工事は難航しましたが1434年には完成し、1436年に献堂式が行われました。
建築開始から140年後のことです。
フィレンツェの歴史を見守ってきた大聖堂では、歴史的な大事件も起きています。もっとも有名なものは、1478年に起きた「パッツィ家の陰謀」です。
台頭著しかったメディチ家に対してライバルのパッツィ家が対抗して、ロレンツォ・デ・メディチを暗殺しようとした事件です。血の惨状の舞台となったのがドゥオーモでした。
ミサに参加したロレンツォをパッツィ一派が襲撃しました。ロレンツォは怪我を負ったものの辛うじて逃れましたが、弟のジュリアーノは殺害されてしまいました。
弟を殺害されたロレンツォの怒りはものすごく、パッツィ家につながる100名以上を捕らえて処刑しました。
大聖堂の見どころ
正面ファサード
西側にある大聖堂正面のファサードは、ドゥオーモの顔と言える部分です。意外なことに、15世紀に完成したあとも、ファサードだけは未完成で長い間放置されました。
19世紀末にようやくネオゴシック様式で改修されたものです。設計は1864年のコンクールで選ばれたエミリオ・デ・ファブリスが担当しました。
アルノルフォが設計した中世のファサードは、ドゥオーモ付属美術館にある模型のように下部だけが完成していました。
ファサードには3つの門があります。中央には鉄の扉があります。扉の上にある、ニッコロ・バラビーノのモザイク画には、花瓶に生けられた百合の花が描かれており、「花の聖母マリア大聖堂」を表しています。ファサードの上部には、12使徒の彫刻、その上にはバラ窓があります。
続いて大聖堂内部の見どころを紹介します。
身廊
入場すると、奥行き約150mの巨大な身廊が後陣まで続いています。金ピカのサン・ピエトロ大聖堂と比べると、シックな装飾です。
祭壇
十字部分の中心にはキリスト像がある祭壇があります。左右には、巨大なオルガンが設置されています。オルガンは建設当初から設置されていましたが、現在のものは20世紀中頃に設置された新しいものです。
クーポラの天井画『最後の審判』
シンプルな装飾の大聖堂内部で、際立って壮麗なのが内径43mのクーポラ内側に描かれた天井画です。
当初、クーポラを作ったブルネレスキが死去してしまい白いまま残されました。そこで、コジモ1世がヴァザーリに命じて描かせたのが『最後の審判』です。ヴァザーリも1/3を完成させたところでなくなったため、弟子のフェデリコ・ツッカリらが完成させました。
パオロ・ウッチェロの時計
振り返ってファサードの裏側にあたる壁を見ると、大きな時計があります。
ウフィッツィ美術館の『サン・ロマーノの戦い』でも有名なパオロ・ウッチェロが1443年に制作した時計です。時計盤を見ると気づくように、文字盤が24時間で書かれています。19世紀まで実際に使用されており、現在でも動くようです。
時計の上部には、バラ窓の美しいステンドグラスがあります。
騎馬像のフレスコ画
左の側廊の壁には、2つの騎馬像が描かれています。右がパオロ・ウッチェッロの「ジョン・ホークウッドの騎馬像」(1436年)で、左がアンドレア・デル・カスターニョの「ニッコロ・ダ・トレンティーノの騎馬像」(1456)です。
ジョン・ホークウッドはイギリス出身の傭兵で、晩年はフィレンツェ軍の総指揮官として活躍しました。
『ダンテ「神曲」の詩人』
騎士像の先にあるのがドメニコ・ディ・ミケリーノの『ダンテ「神曲」の詩人』です。
「神曲」を持ったダンテの後ろに、ドゥオーモなどのフィレンツェの町、地獄、エデンの園が描かれています。
サンタ・レパラータ教会跡
続いて、大聖堂内に入り口があるサンタ・レパラータ教会跡を見学します。
現在の大聖堂は、7~9世紀に建設されたサンタ・レパラータ教会の跡地の上に建てられました。
大聖堂の地下にはサンタ・レパラータ教会の遺構が埋まっており、20世紀後半の発掘で遺構を見学できるようになりました。
大聖堂に入場してすぐの右側に、地下へ降りる階段があります。サン・レパラータ教会跡には、ここから降りて行きます。
大聖堂は無料で入場できますが、サン・レパラータ教会跡への入場はチケットが必要です。階段を降りたところに、ゲートがあります。
サン・レパラータ教会教会の柱や壁の遺構を見学できます。美しいモザイクの床は特に見応えがあります。
遺構では、多くの墓石も発見されました。クーポラを作ったブルネレスキのお墓も発見されています。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂は大聖堂の正面ファサードと向き合って立っている八角形の建物です。
洗礼堂は、その名の通り、洗礼を受けるための建物です。ドゥーモ関連の建物では一番古く、ロマネスク様式の建築物です。11世紀に竣工され、13世紀に完成しました。「神曲」で有名なダンテも、ここで洗礼を受けました。
なぜ八角形かというと、洗礼堂は八角形に作るのが当時のお約束だったからです。
洗礼堂のチケット
洗礼堂はどのパスを購入しても入場することができます。
洗礼堂 入場の流れ
礼拝堂の入場口は建物の北側にあります。
これまでも大聖堂などと比べると入場列は短く空いていました。複数人で観光していれば、大聖堂の行列に並んでいる間に交代で見学してこれるくらいでした。
洗礼堂の見どころ
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の見どころをご紹介します。
天国の門(レプリカ:ギベルティ作)
大聖堂の向かい洗礼堂の東側にあるのが、金色に輝く「天国の門」です。後にルネサンスの巨匠ミケランジェロが「天国の扉」と呼んだため、この名前で呼ばれています。
扉の制作者を決めるコンテストでギベルティとブルネレスキが争いました。どちらの作品も素晴らしく優劣つけられずに共同制作することになりましたが、ブルネレスキが共同制作を嫌がり、ギベルティが選ばれました。3つの扉のうち、東扉と北扉の2つをギベルティが制作しました。南の扉はピサーノ作です。
扉の10枚のパネルには旧約聖書の物語が描かれています。取り付けられているのは、日本人が寄贈したコピーで、オリジナルは付属博物館に展示されています。
天井画
天井には、12世紀から13世紀にかけて壮大なモザイク画が描かれました。創世記から最後の晩餐まで聖書の場面が描かれています。
教皇ヨハネス23世の墓
15世紀の教皇ヨハネス23世の墓があります。複数の強行が並び立っていたため対立教皇と呼ばれました。メディチ家の後押しで教皇になったため、ここに埋葬されました。
大理石のモザイク床
洗礼堂の床は、美しい大理石のモザイクによって装飾されています。12星座が描かれており、差し込む光が時間を示す日時計を役割を果たしています。
洗礼盆
現在は端においてある洗礼盆は、最初、洗礼堂の中央に置かれていました。
以上、ドゥオーモの見学スポット「大聖堂内部」「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」「サンタ・レパラータ教会跡」について見どころ、入場の流れなどをご紹介しました。
クーポラ、ジョットの鐘楼、付属美術館など、ドゥオーモの他の施設の説明は以下をご覧ください。